2001年7月31日号(NO.133)

マドロスはなぜ縞のシャツを着るのか


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 先日、新聞の広告で、「マドロスは、なぜ縞のシャツを着るのか」というおもしろそうな題名の本を見つけて早速購入しました。海にまつわる話、海から派生した興味深い話を満載している本です。

 港町で生まれた私は子供の頃から海にあこがれ、船乗りになることが夢で、暇さえあれば仲間と港へ船を見に行き、時には、無断で船内を見学して遊んでいました。海好きが高じて大学も商船大学を受験した程です。受験資格の視力が規定の0.6(機関科)以下だった私は近眼を直そうと学校の授業が終わると海岸へ行き、何時間も水平線を見続けていました。しかし、2次試験の身体検査を受けるまでもなく、1次の学力試験であえなく脱落。

 で、次に考えたのは医者になれば船医になって船に乗ることができる。あわよくば世界を見てまわる事も可能だ。そうだ医者だ!と医学部を受験。ようよう医者になった頃にはあの少年の頃の輝かしい夢は薄れて毎日の仕事に手一杯、酒の海を泳ぎ、女におぼれ、今や腹の出た中年になっております。

 さて、話を本題に戻し、おもしろかった部分を抜粋してみます。

1)なぜ船員のユニホームであるセーラー服が日本の女子学生の制服になったか?

 18−19世紀の帆船時代は、航海中、水はきわめて貴重品で飲み水以外使用されず、身体や頭を洗うのは雨の日だけで、当然、散髪もせず弁慶のように後ろに長く垂らし汚れ放題。当然、髪になでられる服の背中は汚れるため、汚れ防止用として大きなナプキンがつけられた。これが、セーラー服に大きな襟をつけた理由である。

 この服が格好良く目立ったため海軍好きなイギリス人が幼児に着せるようになり、やがて女学生の制服となった。 我が国でも関東大震災の前後から都会の女学生の制服となり、全国にひろがった。

2)マドロスはなぜ縞のシャツをきるのか?  

 昔の日活映画では、裕次郎や旭が縞のシャツを着たマドロス姿をみせていたが、マドロスと云う言葉はすでに、江戸時代より使われていた由。小林一茶の句に「マタロスが故郷を泣く明け方に」と云う句があり、オランダ語のMatrossからきており長崎出島からオランダ人によりつたえられた。

 では、縞のシャツは?これは、帆船時代、船内規律の違反者は鞭打ちの刑に処せられたということで、この刑は、のちに海軍でも行われており、受刑者の背中には縞模様の大きな傷がついたので、この者は、「チェックのシャツを貰った」と云われ、チェックのシャツいわゆる縞のシャツがマドロスの象徴となった。

3)バッテラとは?

 関西では、鯖の押し寿司をバッテラと呼ぶが、明治の中頃、大阪の寿司店「酢常」で、酢で締めたコノシロの半身で造った押し寿司の形がボートのような形であったことから、ボートのポルトガル語であるバッテラと呼んで売り出したところ評判になり大繁盛し、バッテラの名が全国に広まったが、後に、コノシロが鯖に変わったということです。

 以上、興味のある部分を抜粋して見ましたが、皆さんはご存じでしたか?

 その他にも、なぜ日本の船には「・・丸」のように船名に「丸」が多いのか、世界で最初に[SOS]を打電した悲劇の船「タイタニック号」は、なぜ沈んだか、など楽しい雑学問の知識を得ることができます。若向きにはビールを傾けながらの蘊蓄の材料として、また若くない方には何度読んでも新鮮な感銘を得る一冊です。一度、ご購読を!

  題 名「マドロスはなぜ縞のシャツを着るのか」

  著 者 飯島 幸人

  発行所 論創舎

             

(Y.O.)


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