2001年5月29日号(NO.130)

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ポリオ根絶京都会議

 昨年11月29日、京都市で開かれた西太平洋地域ポリオ根絶京都市会議で世界保健機関(WHO)は、ポリオが日本を含むアジア太平洋の37カ国・地域から根絶されたとする京都宣言を発表した。

 日本でのポリオは昭和35年(1960年)、患者数 5,606 名の空前の大流行に見舞われた。我国は当時のソ連から弱毒生ワクチン(セービンワクチン)を緊急輸入して、劇的な効果をもたらした。その後のポリオワクチンによる効果は目覚ましく、国内では昭和50年(1975 年)から地域固有のポリオウィルスによる自然感染の患者は出ていない。

 ポリオの根絶のために国際的に活躍した中心人物が日本人であることを寡聞にして知らなかった。

 WHO西太平洋地域事務局長、尾身茂氏がその人である。尾身氏は自治医大を卒業後、9年間離島で働き、1990 年にマニラにあるWHO西太平洋地域事務局に入り、ポリオの担当になった。ポリオの根絶目標は2000年、1990年の発症者は5991名であった。最大の課題は患者が多いカンボジアやフィリピンなどの子供たちへの徹底的なワクチン接種である。そのために各国の政府を説き伏せて回った。

 尾身氏は京都会議での開会式で「共に力を尽くした皆さんがここに集まっているのを見て、本当にうれしい」と挨拶し、大きな拍手を浴びた。

 京都会議で「日本の経験と貢献」をテーマに講演したのが平山宗宏氏である。平山氏は東大医学部小児科助手、東大医学部保健学科母子保健学教授、名誉教授。現在日本子ども家庭総合研究所所長、すこやか親子検討会座長。

 30数年前になるが、当時ハシカ生ワクチンが開発されたばかりで、生ワクチン単独接種では、発熱、発疹などの副作用が出現するので、その副作用を軽減するため、不活化ワクチンやγグロブリンを併用して、そのデータを集積していた時代でした。

 その仕事を東大小児科学教室、岩手医大細菌学教室、岩手医大小児科学教室が共同で行っていました。その当時岩手医大小児科学教室で臨床呼吸器ウィルス学の仕事をしていた私は、教授やスタッフと共に東大小児科から派遣された平山氏等と共に岩手県北の寒村の民家に寝泊まりして、ハシカワクチンの接種、採血などのフィールドワークに従事したのでした。

 平山氏は母子保健がライフワークであるが、東大小児科時代は、ポリオ、麻疹、風疹のワクチン開発などウィルス病の予防に取り組んでいたのです。そうした関係で京都会議での講演になったのだと思います。

 1980 年に天然痘が地球上から姿を消しました。そして今ポリオが地球上から根絶されようとしています。麻疹もハシカワクチンの世界規模の接種によって近い将来根絶されることは疑いありません。

 ポリオ根絶京都会議の新聞や雑誌の記事に接し、30数年前の平山氏との出会いを想い起し、感慨深いものがあります。 (S.Y)


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