2001年5月2日号(NO.129)
朝焼けで真っ赤に燃えるアイガー北壁を眺めながら、ホテルレジーナのテラスで深くたばこを吸い、今回の、三週間ほど前から始まったヨーロッパ旅行を振り返っていた。 夕暮れの迫った成田国際空港から、妻と二人ストックホルム行きSAS航空の機上の人となった。機種はボーイング787。シートは2のA,Bであった。15年前のシートは120度くらいまでのリクライニングであったが、今はフルフラットシートとなりその快適さは以前とは比べものにならない。シベリア上空を経由し約11時間ほどでコペンハーゲン空港に到着した。着陸寸前の眼下にはスウェーデンのマルメとコペンハーゲンを結ぶ国際渡橋がその勇姿を誇っていた。空港内のハーツでボルボのレンタカーを借り、先程見た国際渡橋を通り約2時間ほどでルンドの町に到着した。以前の訪問の時と変わらず、教会と大学を中心に栄えたこのスウェーデンの古都は、咲き誇る木々の花々に飾られ一層その趣を深いものにしていた。 二日後ルンドを発ち、アウトバーンの E-1 ルートで約600kmを丸一日かけドイツのケルンに到着した。以前ケルンに来たとき一緒であった小学生の娘も今では大学3年生となった。時間がたつの早いものだ。ライン川沿いのレストランで良く冷えたビールと食事を堪能し、翌日は大聖堂の見物、オーデコロンの語源になったというケルン水などのおみやげショッピング。ローマ帝国時代からの歴史ある町は本当に魅力的だった。 ついで訪れたのは、バイエルン州の州都ミュンヘン。ホッフブロイハウスのビールは地元ッ子が世界に誇るだけあって全く美味である。日本のビールと異なり、水と麦芽そしてホップだけで作られている。ホテルから出てマクシミリアン通りをぶらぶら歩きドイツ博物館に行った。丸一西博物館の見物をしたが、さすが技術の国ドイツ、飽きることがなかった。ミュンヘン滞在中ここを起点にして、ハイデルベルグやロマンチック街道の町ローテンベルグを訪れたり、ルードウィヒ2世の造ったかの有名なノイシュバンシュタイン城に行ったりとまるで夢のような日々であった。 ホテルとアイガー北壁の間の谷を、朝日を浴びたハングライダーが上昇気流に乗り、まるで鳥のように自由自在に飛び回っている。もう一服しながら目を閉じて、これから予定しているこの旅後半の旅程をイメージした。この後スイスを約一週間かけてじっくりと回る。フランス語圏のジュネーブ、シオン城のそばのモントレー、ローザンヌ、ドイツ語圏のベルン、バーゼルなどを車で回ってからは、チューリッヒから列車で隣国のオーストリアへ。ザルツブルグ、ウィーンで音楽を聴いたり、モーツァルトやベートーベンなどのゆかりの地を回る。食事は何にしようか? この後二週間はイタリア周遊の旅。日程も1都市2泊で計画してあり体も楽なはずだ。最後はスペイン。マドリードを起点にバルセロナまで電車とバスでのスペインぐるり一週の旅。 考えてみれば、開業医がこんな2ヶ月以上もの長期休暇が取れるようになるなどということはつい最近までは全く考えられないことであった。今回のこの長期休暇の間は近くの先生が当院の患者さんを代わりに診察してくれている。この画期的なシステムは日本医師会の強力な推進のもと当医師会でも可能になったものだ。小生も次は今回お世話になった先生の代わりをしなければならない。他医院の患者さんを診ることは大変だろうが、しかし電子カルテの進歩で、今では簡単にその患者さんの病歴、治療内容などが把握できるようになった。本当に便利な世の中になったものだ。 再び煙草を深く吸い込みながらホテルのすぐそばの道路を眺めていた。すると、なんとスイスであるにもかかわらず、日本と同じような選挙カーがスピーカーのボリュームを最高まで上げ、候補者の名前を連呼して回っている。 おそらく市長か何かの選挙なんだろうが、全く日本と変わらないシステムだ。どこの国も選挙となれば同じようなことをするものだと半ば呆れながら見ていたら、「先生!患者さんです」。聞き覚えのある看護婦さんの叫ぶ声がする。おかしいなぁ、ここは旅先のスイスのはずなのに。どうしてこんなところ迄来て仕事をしなければならないんだ、と訝しく思っていたら突然目が覚めた。 全ては昼寝の夢の中での出来事であった、ということに気付くまでほんの数秒しか必要としなかった。(S.M.) |